闘病日誌その6 退院後も便利品

 

入浴時に愛用するヘアバンド。100円ショップで見つけたやつだ。最初見た時に「寒い時の耳ガードにいいかも」と思ったのだが、シャワーや入浴時に「耳から上を絶対濡らさない」の厳命が出てからは、耳や髪をを濡らさないための被いとして活躍している。入院中はこれだけをかぶって、シャワーではなく桶にお湯をためてかけ湯で我慢していたが、家ではこれの上からシャワーキャップをかぶり、水跳ねから守っている。水滴から耳を守るだけでなく、汗を吸い取ってくれるから、ただでさえ気持ち悪い無洗髪の髪の毛が、汗で汚染されるのを少しは防いでくれているのだろう…と思いたい。

 

入院している時は、診察の後や耳への注し薬を終えた後で、必ず綿球を入れられた。耳だれがあちこち汚すのを防ぐのだが、退院後は自前だ。先日の通院日以来耳だれが止まってからは、薬を注した直後に入れて、1時間後には取ることにした。せっかく耳だれが止まったので、中を乾燥させた方がいいような感じがして。綿球を取ったら、娘の声がにわかに聞こえ出した。けれど夫や息子の声はまだ聞こえずらい。しょげてる夫がいじらしくて…ふふふ。

注し薬を耳に入れたら10分横になるのだが、入院中はタイマーを鳴らすわけにもいかず、コンシェルちゃんに「10分タイマー」をお願いしていた。これがさぁ、なかなか一筋縄でいく相手ではなくて、わずか10分間のコンシェルちゃんとの飽くなき戦いを繰り広げていた。省エネモードだから、3分後には画面が消えるし、またコンシェルちゃんを呼びだして「タイマー戻して」と言いつけなきゃならないし、またうっかりそのままにしていると消えるし…の、延々繰り返し…ふう。画面のどこかを撫でるだけで済むことなのにねぇ。まあ画面を触るとコンシェルちゃんが「なにかご用ですか」と画面を切り替えてしまうから、「タイマー戻して」を言い続けたり◁を押し続けたり…無駄じゃ…無意味じゃ…タイマー出しとけコンシェルちゃんっ となんど思ったことか。朝は皆が起きだす前の6時に注し薬と決めていたから、囁き程度でこれをやらねばならず…。ガーゼが取れてから毎朝だよ。

退院後の今は、堂々とキッチンタイマーを鳴らしております。

 

今日で術後22日目。軟骨や筋膜を採取された左の耳は、だいぶ感触が戻ってきた。最初は触ってても判らなかったけど、やっと耳たぶの温度も感知できるようになった。耳の中に注し薬が入る音も聞こえ出した。聴覚検査が楽しみだ。

耳が聞こえ出すと、バランスが取れやすいような感じがする。歩きだす時の最初の3歩は緊張するけれど、揺れる体を真っ直ぐにする力が戻ってきたような感じがする。左回転をしてもぐらりとしなくなった。朝起きたばかりのふわふわする感じも、だいぶ短くなったような気がする。


闘病日誌その5 参考になる病院食

 

これは2/3に減らしてもらった後の夕食。ゴマドレッシングをかけて食べた「ラーメンサラダ(ミニトマトがのったやつ)」が美味しかった。退院後に自宅で作ってあげたら、家族にも大好評。美味しいと思ったメニューはちゃんとメモして、我が家の献立の参考にさせてもらおうと思う。

全粥(成人用)300gというメニューが、術後に出された食事。2回ほど完食したら胸やけに襲われた。午後の検温の時にその話をしたら「では2/3に減らしましょう」と言ってくれた。ついでに入院の時に「牛乳は飲めません。乳製品もダメです。お腹が壊れます」と伝えていたはずなのに、普通に牛乳が付いてくる話もしたら、「あれ?ちゃんと念を押したはずなのに。再度ちゃんと確認しておきますね」と。私、牛乳の代りに豆乳が出るのもイヤだったのでそれも伝えたら「大丈夫。牛乳の代りにジュースが付きますけど、それにしましょう」と言ってくれた。ジュース?? いやぁそれはうれしいわっ

期待したジュースは、オレンジにニンジン入り…リンゴやブドウのジュースが出るわけないか…。日によってオレンジとニンジンの配合が微妙に変わっていて、楽しかった。2/3に減ると、バナナもちゃんと2/3に減らされている。そのきっかり具合はさすがだ。

 

術後の左耳は、鼓膜の向こう側(中耳)とこちら側(外耳)をしっかりコラーゲンスポンジでガードされた状態だ。こちら側のコラーゲンは、毎日朝晩注し薬を使って少しずつ溶かしていき、それを診察の時に掃除してもらっていた。昨日1週間ぶりの診察で、8割がた取れたそうな。ほんのりと音が聞こえ出した。まだ何を言ってるのかまでは判らないけど、全くの無音状態だったので、回復を実感する。ジュルジュルとすごい音で吸い出す音が、やっと「うるさいわ」と判るようになった。次回は執刀医である主治医の診察だ。聴力検査もしましょうねと言いつつ、注し薬も追加された。まだやるのね…3滴注して10分横になってを。

眩暈はだいぶ抜けてきた感がある。体が左に引っ張られる感は、やっと消えた。方向変換した時のぐらりはまだ油断できないけれど、TVを見続けられるようにはなった。手元を見つめ続けるのはまだ10分程度。縫い物はいまちょっとおあづけだ。だいぶ横になる時間が減った。そして何より、物につかまらなくても立ち続けられるようになった。後は歩く時にふらつくのが無くなれば、生活に支障が無くなる。夜明けは近いか遠いか…油断せずにしっかりと自宅療養に努めますわい。うれしいことに、回転する眩暈に襲われることが無くなって安堵している。これまじ気持ち悪いからねぇ。


闘病日誌その4 お見舞いのこもごも

 

会長がお見舞いに携えてきた花かご。これはうれしい。ちゃんと匂いのきつくない花々が選ばれている。幸か不幸か、偶然にもジュリアが亡くなった翌日に来ていただいたので、献花にもさせていただいた。

 

術後4日目、車イスから解放された日は日曜日。一番乗りで母と妹弟がやってきた。母が差し出したのし袋には「お見舞い」ではなく「おこずかい」と書かれていた。北広島からはるばるやってきた妹は「タイムススクエアー」を2箱も抱えてきた。なんとも心憎い家族たちだ。まだ回転する眩暈が消える前で、座ってるのがしんどかったけど、久しぶりに弟の顔も見れてうれしかった。

 

その次に見舞いに来てくれたご近所の知人は、なしてお見舞いに来たのかが今でもナゾで、頂いた大きな箱にはでかいロールケーキ2本とワッフルが4個。しかも全て当日消費期限。なんでこんなの選ぶかなぁ…くれるかなぁ。そりゃあちょっとは食べられるけれども、野放しでバクバク食べられるほど耐性はない。今のこんな状態でお腹を壊すわけにもいかず、全部夫や子供らに押し付けた。もっともわが家の住人も乳製品には弱い。「近所に配って」が精いっぱい。なんか「太った人はケーキが好き」という認識があるのだろうか。入院中に何度か頂いたけど、プリンすら避けてた私には目の毒。ラップもママパックもお皿すらない中、どう崩さずに冷蔵庫に保管して誰の腹に入れてもらうかを、その都度悩んだ。

食べられなかったケーキのお返しを何にすべきか…気が重い。

 

花かごと同じくらい感動したのがティーパックのセット。ちゃんとカフェインレスが選択されていて興奮した。今日はこれにしようかなぁなんて選べることがうれしかった。

 

そして何よりだったのは「近くまで来たから」を装ってふらりと顔を出してくれる友人達。さっと現れてそそくさと帰っていく。わずか10分ほどの訪問のために、どれほどの心を砕いてくれたのか。私もよく、余計な気を使わせないように、手ぶら、あるいはせいぜい水2本を持って見舞いに出かけていたけれど、逆の立場になってみるとしみじみ思う。愛情溢れて有り難いものだと。

 

ちょっとムリをすると、途端にぐるぐる体が回る。一昨日初めて転んだ。布団の上で助かったよ。

起きていた時間の倍を横になる時間と決めて、ほぼ食っちゃ寝を繰り返している日々だ。

入院前に4.5kg、入院中に3.0kg(計7.5kg)の減量ができたのに、またすぐに戻っちゃうなぁ…でもいまはムリしない。

わずかだけど、左の耳に聴力が戻ってきた。音がするよって程のものだけど。

明日は退院後初の通院日。またズリズリと耳掃除なんだろうなぁ。痛くもかゆくもないんだけど、段々耳が聞こえるようになると「うるさい」んだそうでこれ。周囲で聞いてる人たちは「痛そう」な音なんだって。


闘病日誌その3 術後に変わってしまったあれこれ

 

釧路名物「霧」。せっかく8階と言う展望豊かな階にいるのに、悲しいかな私のベッドは廊下側。お隣さんは毎日すばらしい眺めを独占してるのに、カーテンで遮られて私には見えない。トイレから帰る時に、廊下の窓からの展望を眺めるのが楽しみだった。

 

さて。手術室から帰って来た時、夫は私の顔があまりにも変貌していて驚いたそうな。「しばらく面会禁止。誰にも合わせるな」と子供らに命じたとか。曰く「瞼がむくんで恐ろしい」曰く「唇がむくれあがってて恐ろしい」とか。ひどい言われようだ(笑)。

全身麻酔という未知の経験をする以上、ある程度は覚悟していたが、落ち着いたところで鏡を見て点検したところ、うへ〜〜っと自分でも驚く位の変貌ぶりだった。顔全体が白くむくんでいて、瞼が3重にした?なほど分厚くなっている。唇の右半分がむっくり腫れあがっていて、上下の唇が上手く閉じられない。主治医は神経マヒに付いて触れてない(つまりマヒは無い)のに、舌の左半分で味が判らない。なんだこれ。

恐る恐る自分の舌を、鏡で点検した。味が判らない部分は見事にツルツルになっていた…。元に戻るよねぇ口の中だから…と自分を慰めるしかない。その他にも腕や足に見覚えのない青タンが…娘に聞いたらこそっと教えてくれた。「ママねぇ、回復室で大暴れしたみたいだよ。起き上がったり(ひぃぃ)包帯むしり取ったり(うぅぅぅ)先生笑ってたわ(あわわわわ)」だって。

手術場でお世話になった看護師が来てくれた。早速聞いてみた。「この唇どうしちゃったんですか?」と。看護師曰く「挿管の影響ですね」と。そりゃそうだろっ それ以外にないだろっ んなんわかっとるわい

そうか…聞き方が悪かった。「いつまで腫れてるんですか?」だわ。

そしてあくびの時に気が付いた。口が半分しか開かない…なぜだ…? 娘が教えてくれた。「耳の後ろで縫合しているからだよ。こめかみのところの筋膜も少し取って移植したんだって」だそうだ。なんともすっきりしないあくびだわい。

口が開かないと、バナナが噛めない。口に入らないから。それでずっと退院まで全粥だったのか…。やれやれ。

唇の腫れと顔のむくみは、弾性包帯が取れたころから元に戻り始めた。傷が治りつつある今、少しずつあくびが大きくなった気がしている。

耳にがっつり包帯を巻かれるので、メガネはいつ掛けられる?が 最大の関心事だった。なにせ歩けない。世の中の全てに焦点が合わない。これじゃ読み書きが出来ないじゃんか。弾性包帯が取れた時に、恐る恐るメガネを掛けてみると…おっ? 痛くないぞ…しめしめ。これで私の世界が帰ってきた。歩くぞと決めたのは、メガネに頼れると判ってからだ。

そして最高に悲しいのは、「洗髪禁止1カ月」…うぅぅぅむ。退院が近付いてきたので「シャワーをあびても良いですか?」と聞くと、「良いですよ」のあとに続いたのがこれ。「絶対に耳から上を濡らさないでください」

えっ? 頭(髪)洗えないの? 洗ったらダメなの? あまりの事実に目が泳いでる私に、先生がきっぱりと「1カ月はダメです」…しゅん

良かったぁ真夏じゃなくて…。今? ドライシャンプーさまさまですわよ。

舌? ブツブツ(味らい)の新しいのが生えてきました。なんとなく味が判ります。


ジュリアはムシの日にホシになった

 

術後2日目、吐き気も治まりご飯も食べられるようになったのを待って、娘が「実はママの状態が落ち着いたら教えようと思ってて」と切り出した。そして「ジュリアの具合がとっても悪いの。ママが入院した日から。ご飯も食べないし水も飲まなくて…」と続けた。

なんで私はそんな時にこんな囚われの身なのと恨んだ。

「でもまぁ、様子見だね。今までも何度もあったしね」なんて慰めたら帰って行ったけど、慰めにはならないだろうなぁなんて反省したりもした。

術後3日目、6月4日午後9時21分。娘からラインではなく電話が来た。もうすでにしゃくりあげながら「今、ジュリアが息を引き取ったの。ママ、何か言ってあげて」と。ああかわいそうに。そばにいてあげられなくて、ほんとごめんね。「長い間そばにいてくれてありがとうね、お疲れ様でしたね、ゆっくり眠ってね」と語りかけたけど、届いただろうか。

 

ジュリアの亡骸はダンボールの箱に、愛用したバスタオルを敷いて、私が作ったジュリアマットに包まれて安置された。箱の上に「ジュリアホイホイ」と名付けた、私が作った2枚目のジュリアマットが掛けられた。そう報告する娘や息子や夫の心遣いに、悲しさが増すけれど、ありがたいとも思った。そばにいられない辛さを皆が分かってくれてるからだ。

 

さて。これからをどうするかだ。実家の庭の片隅に土葬するか、ペット霊園で火葬してもらうか、スマホで検索をしながら涙が溢れる。心境的に土葬は悲しすぎる。かといって遺骨がいつまでもわが家にあれば、息子がいつまでも泣き暮らしそうで怖い。よって、ペット霊園に共同埋葬することにした。そこに行けば、いつでもジュリアに会うことが出来るよね。そう決めて、そのように娘に手配してもらった。6月6日、ジュリアは荼毘に付されて埋葬された。「担当の人、とっても優しい良い人だったよ」は、娘の感想だ。

 

退院してわが家に帰って来て、荷をほどいて片付けてから取り掛かったジュリアの祭壇作り。

 

 

愛用のおもちゃ。最後に買ってあげた首輪。病院のベッドでジュリアを思いながら折ったバラの花。

ジュリアはいつも、リビングの片隅にいて、私たちを見守っているよね。

10月1日が20歳の誕生日だった。およそ20年間、母猫のお腹にいる時からうちにいて、手のひらにすっぽり収まった生まれたての時から、沢山の楽しいことうれしいことを残してくれて、どんなに「ありがとう」を重ねても足りないよ。また必ずどこかで会いましょう。あなたの声はきっと判るから。


闘病日誌その2 快適に過ごせるグッズたち

 

完全に一人で歩けるようになった(とはいっても歩行器付き)早朝の朝焼け。こんなに出現するものなのかと改めて思った。

7~10日の入院予定だったので、荷物は7日分をめどに準備した。「入院のしおり」を参考に、着替え・入浴セット・洗面道具・食事用の箸スプーン・ゴミ箱・箱テッシュ・サンダル。そしてお薬手帳と薬、忘れちゃならない診察券と保険証。TVと冷蔵庫を使うための1000円札。基本はこれだけ。そしてあると便利かなぁと思って持ち込んだものが、ヘッドホン、ウェットテッシュ、小さめのカゴ2個、500mlの保温マグ、インスタントコーヒー、ふりかけ、大判バスタオル、ハンドタオル、20cm程のクッション、付箋、大きめのヘアバンド、S字フック。大体こんな感じだ。

とても役に立ったのがクッション。点滴の針が入った腕用枕にした。4か所も変えられた針を大事にするために、眠ってる間も針は腕ごとクッションの上。針を「お姫様」と呼んで大事に扱った。腫れてしまうとやり直しが辛いんだもの。

付箋はメモにとっても役立った。なにせ毎日トイレの回数を聞かれるからね…病院って。その他にも○時に歯科へとか、○○持ってきてほしいなぁとか、思い付いた時のメモとして日常使っていたのと同じことが出来たからね。貼っておけるし。

ヘッドホンはTVを見たりスマホにDLした曲を聞くため用。イヤホンは音が悪すぎて嫌だったので、こっちにした。傷にかからないように当てるのが面倒だったけど、耳穴に物を入れるよりはマシ(私はね)。たまたま延長コードが付いたまま持ってったので、差し換えがとっても楽だった。

で、うねうねになるヘッドホンのコードをひっかけるためのS字フック。サイドの柵にひっかけて、ヘッドホンの定位置にしていた。

ベッドテーブルの上をすっきりしておくために役だった小さいカゴ。ひとつは薬のカラやら耳に入れた綿球やらのゴミ用にして、ひとつは薬やふりかけやガム・アメやボールペン等をひょいひょい入れておくのに役だった。油断したらすぐに散らかるから。ふりかけやコーヒーは、食事制限がないから怒られないだろうなと思って。朝と昼に保温マグにコーヒーを詰めて、ちびちび飲んでた。

ウェットティッシュは、ホイホイと手を洗いに行けなかった私にとって大きな味方となったものだ。食事の前に手を拭いて「いただきます」ってな具合。汗ばんだ顔や首筋なんかも拭けて、助かった。

ハンドタオルは枕用。真っ白な枕カバーの上にかけて使った。そして大判のバスタオルはタオルケットの代り。ひょいと掛けて寝られる便利品。

ヒマつぶし用にはナンクロとロジックの本、マンガ本、そして折り紙。レース編みも持ってったけど、視点が揺らいで合わない辛さから、諦めた。「先生!」を全刊持参して読破した。

不要だったのはサンダル。足元がおぼつかないほどフラフラするんで、入院時に履いてたスニーカーを愛用した。せっかくリラックマの可愛いのを買ったのになぁ。ベランダ用にでもするか。

なんにせよ、あれがないこれもないと悲しまずに済むように、朝起きてから夜眠るまでの習慣を押さえて、持参するものを吟味するのがいい。私は入院すると決まってからおよそ3ヵ月も準備期間があったおかげだとも思うけど。

それと。入院が決まったら「限度額適用認定証」の手続きを忘れずに。高額療養費制度を逆手に取ったような手続きで、限度額だけの支払いが可能になります。もっとも月をまたぐと前の月のはまともに払うし、歯科は例外だけど、ひやひやしなくて済みます。うちは非課税世帯なので「標準負担額減額認定証」を申請して、限度額は35,400円。手術を受けても酸素吸入されても点滴をどれだけ入れられても、6月分の支払いはこれだけ。5月31日分と歯科受診(手術の前後に歯の掃除をするのよ今)の分と、食事代ねまき代を足して、60,000円でおつりが来た。一旦全額支払って、後で高額療養費制度の申請をしたら戻ってくるんだけど、それよりもこちらの方が、負担が少なくて済むからね。

 

北猫さん、コメントありがとうございます。ご心配をおかけしました。

ゆっくり休養は一番苦手と心得ているので、厳重な監視下(特に娘)のもと、呑気に過ごしております。

眩暈は日を追うごとに無くなるようです。北猫さんも、お体大事にね。

 


闘病日誌その1 最後まで眩暈と戦う

 

やっと(歩行器を押しながら)一人で歩けるようになった早朝の朝焼け。窓いっぱいに広がる幻想的な世界に、「おめでとう 頑張ったね」と言われているような気がして、涙がこぼれた。

 

手術名は「鼓室形成術」。簡単に言うと鼓膜から三半規管までの中耳部分を作り直す手術だ。すっかり変形して中耳にもぐりこんだ鼓膜を筋膜で作りなおし、破壊された耳小骨等の聞こえに必要な骨類を軟骨で補い、穴が空いた頭蓋骨を軟骨や削った骨カスでふさぎ、半分消えてしまった三半規管を筋膜や軟骨で被い(タイヤのパンク修理みたいなものと主治医は表現した)、安定させるためにコラーゲンスポンジで包んで、という手術を、術野わずか1cm程の部分に施してもらった。麻酔の時間も含めて4時間。歩いて手術室に向かい、自分で手術台に乗った。そして気が付いたら自分の病室にいた。

 

聞こえる仕組みを組み立て直しているので、もちろん聞こえない。手術を受けた左の耳にはびっしりガーゼが詰められて、厳重に弾性包帯が巻かれていた。寝ているはずなのに、とにかくこの包帯がやたら重たい。そして拷問のように熱い。熱くて寝てられない。あまりの熱がり様に太ももの間にまでアイスノンを挟まれた。「青藍さ〜ん 分かりますか〜」と言う声に目を開けたら、天井の板が1枚ずつバラバラに自分に向かって降り注ぐ感じに見えた。その瞬間おう吐。酸素マスクがジャマだ。

次に気が付いて目を開けたら、自分がドーナツ盤レコードになったかのような回転する眩暈。これはイヤだ。遊園地でコーヒーカップに乗った時にこりごりした回転だ。これが目をつむってても感じてる。うげぇぇぇ…。こんなにつらいのに、看護師が次々とやってきては「おしっこの管を抜きます」と威す。こんなんでトイレに行けるかいっ もうちょっと待てやっ

段々と頭がはっきりしてきて、目をつむっていれば眩暈が止まっていることに気が付いた。だけど眩暈が怖くて目が開けられない。夕方、「術衣のままなので着替えましょう、管も抜きますよ」と説得されて、しぶしぶ起きあがったらぐるんぐるん。思わずおう吐。ああもうやだ…と思いながらもなんとかシャツを着て寝巻に着かえて(というより着せられて)…思い出すのも辛いわ。

手術日は夕食から食事が再開されたけど、食欲をどこかに置いてきたようだ。頭が重くて起きあがりも出来ず、1日位食事を抜いても私には有り余るほど脂肪があるわいと開き直って、翌日の昼まで水を一口ずつ飲みながら耐えた。その後の食事は完食してたわ。

トイレへは、車イスで連れてってもらった。自分で行けない不安と緊張感からか、なんと2時間ごとに目が覚めて「トイレ行きたい」とナースコールを押す。これが眩暈よりも辛かったなぁ。頭がとにかく重くて首が座らず、寝返りも打てない。

手術後2日目には眩暈がかなり消えていた。地震のような眩暈は術後すぐに経験しただけで済んだし、回転する眩暈は横になって目をつむっていれば10分ほどで消滅した。震顫する眩暈だけが残っていて、体が左へ左へと引き寄せられるのと、体がどうしても傾いてしまうのとで、車イスに3日乗った。夜中に2時間ごと目を覚ますのは何か他にも原因があるのではないかと考え、思い付いたのは「寒いんだわ」だった。病室は一番端っこ。壁の向こうは地上8階の外気。消灯時間頃からさわさわと寒気が襲う。で、毛布を1枚余計にもらった。深夜のトイレが1回になった。

術後4日目の朝。今日から歩くと決めて、看護師に「歩いて行ってみる」と申し出ると、「良いですよ。でも付き添いますから、必ず呼んでくださいね」と言う。廊下の手すりを頼りに歩いてトイレに向かう。「大丈夫でしょ?」と聞いたら、「思っている以上にフラフラしてますよ」と…。そうか。何回かのトイレ歩行を経て、歩行器が与えられた。それでもなお「自力ではダメです。呼んでください」と言われた。一人でやっと闊歩出来るようになったのは、それから3日後のことだった。歩行器で歩きだしてからやっと、TVを見ましょうとか本を読もうとかの意欲が湧いてきた。しかし。見つめ続けなければ物が2重に見えてしまう。TVを見つめるなんて、疲れるだけだ。本のページも油断すると倍の行になるし。これも多分眩暈の影響なのだろう。

震顫する眩暈は自分で「眩暈だ」と感じるものではなく、体が持ってかれる・フラつくという症状で現れる。特に歩き初めの3歩は気をつけてないと、ぐらりと揺れる体を支えられないのだ。これは薄紙を剥ぐように少しずつ消えて行くのを待つしかない。そしてもう一つ。方向変換が油断できない。「今から上を向く」と心構えをすればなんでもないのに、いきなり、ふと、上を向いたり右を見たりした時にグラリとなる。これも一生続くものではないけれど、消えるのを心待ちするしかない。それゆえに自宅療養中なのだから。

耳に押し込まれたガーゼは、術後7日目で抜かれた。看護師さんが「ガーゼの数を数えて」と言うので、思わず「何枚詰められてたんですか?」と聞くと、医師が「7枚ですよ」と教えてくれた。抜く時に痛い思いをすると脅されていたのに、全然痛くは無かった。ついでに言えば、切った耳の付け根は吸収糸が使われたので、抜糸もなし。おまけに言えば、キズが痛むことが一切なかった。医師や看護師に「痛み止めを待機してありますから、遠慮しないで我慢しないで言ってくださいね」と何度も何度も言われたが、とうとう痛み止めを使う機会がなかった。手術を受けたのに、痛みとは無縁の入院生活だった。


無事、ただいま です

 

私が13日間入院していたのは、8階の一番右端の突き当たりの部屋。廊下の大きな窓から阿寒の山々が一望できる。退院の日、祝福してくれるかのように、雨上がりの澄んだ青空に雌阿寒岳…辛かった日々も今日でおしまい。頑張ったね私。なんて感慨にふけった景色です。

予定を3日も超えて、昨日無事に退院しました。全国各地からの心配や励まし、地元の友人知人、そして母や兄弟、何より家族の溢れる支えを糧に、無事に乗り超えてきました。今後は自宅療養が大事な仕事。ひたすら大人しく、主治医の指示を守ります。

 

これから少しずつ入院中のあれこれをレポートします。お楽しみにね。

まずは無事帰還を報告します。ブログを訪れる全ての方々に、感謝申し上げます。ありがとう、元気だよ

 


いよいよ明日ですっ 頑張って受けてきますっ

 

13枚中8枚目でおしまい。このまま10日間ほど封印することになる。呑気に針を持てる程の強靭な心臓ではなかったわい。やはり落ち着かない。全身麻酔、後遺症…心配は限りなく出現する。荷造りはほぼ終わった。なるようにしかならんのだから、今更気をもんでもしょうがないじゃん、ねぇ。このあと買い物に出かける。冷蔵庫をとりあえずいっぱいにしておかなきゃ。

 

 

 

娘が今サークルで作っている粘土クラフト。小鳥たちだ。これから彩色するんだけど、3ヶ月後になる。サークルも3カ月お休みになる。私がいないとダメなんだって。

こんなふうにあちこちに心配やらご迷惑を沢山かけてるので、主治医の言うままに養生に努めようと思う。再発は嫌だし再手術はもっと嫌だ。出来ればこの病気との付き合いはこれでおしまいにしたい。完治を目指して最大に頑張ります。

復活は早くて10日後…だといいな。

 

由美さん、コメントありがとうございます。お返事書きましたよ。


入院準備

 

5月21日午後の写真。市立図書館の桜だ。今はすでに満開を過ぎ、春が終わるねぇと淋しく思うこの頃だ。

だが。

今年はそんな余韻に心を引きずったままではいられない。お産以外では初の、入院というイベントにむけての準備が始まった。

おばや母等の入院に、なんども付き合わされた身としては、お茶の子さいさいなはずなのに、自分のこととなると勝手が違う。なにより専業主婦の私が家を空けるということで、かなり周到な準備をしなきゃならない。夫のタイムスケジュールと、10日分の3食献立表…あたまいたいわぁ

市立病院から頂いた「入院のご案内」によると、用意するものは

_蔀緡

⊂綯緡燹幣紊砲呂るもの)

洗面用具(洗面器・タオル・歯ブラシなど)

て浴用具(バスタオル・石鹸又はボディーソープ・シャンプーなど)

タ事用具(箸・スプーン・コップなど)

Ε謄ッシュペーパー

履き物(履きなれた運動靴など)

┘乾瀏

服用中の薬

筆記用具(ボールペン・メモ用紙など)

時計

だそうで。

10日間生活するために必要なものってわけだ。ところで私は耳の手術を受ける。洗髪って出来るの? ゴミ箱って必要だったっけ?

そして一番不満なのは、スリッパではなくスニーカーを履けってところか。裸足で靴を履くってところが…無理だなぁ私。転倒予防は判るけど。

それからTVを見る時はイヤホンでって書いてあるのに、用意してとは書いてないぞ? イヤホンは嫌だからヘッドホンを持って行くけどもさ。方耳にがっつり包帯を巻かれるはずだから、使えないかもしれないけど。

あと、持て余すヒマを潰すものも必要だわね…何をしましょうや…やっぱ編み物か。ロジックやナンクロも持参するし、本も持って行くつもりだ。そして食事制限が無いはずだから、ふりかけもいるかなぁ。ヒマなく飲んでるコーヒーも、もちろん持参する予定だ。

おばの入院に付き合っていた時に、必ず持っていったものは爪切りとハサミだ。代用がきかないから、これも必要だ。

 

入院費に関しては、非課税世帯なので35400円+(給食費210円×3+パジャマ代54円×日数分)+αを予算している。これだけは、予算どおりにお願いしますよと祈っている。


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